津倉 亀作(つくら かめさく、1879年(明治12年)9月1日 - 1947年(昭和22年)2月27日)は、昭和時代の政治家。実業家。立憲民政党所属の衆議院議員。
静岡県磐田郡掛塚町長。大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍主計中尉。
経歴
静岡県長上郡、のちの磐田郡掛塚町(竜洋町を経て現磐田市)出身。津倉勘六の弟として生まれ先代の津倉録平の養子となり1891年(明治24年)家督を相続する。日露戦争に従軍し、陸軍主計中尉に進む。
掛塚町会議員、磐田郡会議員、浜松市会議員、静岡県会議員、掛塚町長、所得税調査委員などを歴任。また材木商を営み、浜松商工会議所副会頭、浜松倉庫、浜松合同運送各取締役社長、遠州銀行、帝国製帽、浜松貯蓄銀行各監査役を務めた。
1937年(昭和12年)4月の第20回衆議院議員総選挙では静岡県第3区から民政党公認で出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127124。
- 『第七十二回帝国議会 衆議院議員名簿 昭和十二年九月一日現在』衆議院事務局〈衆議院公報附録〉、1937年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1916532。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3000139。




