石井 収(いしい おさむ、弘化3年(1846年) - 大正14年(1925年)10月10日)は、日本の武士、警察官、地方官吏である。会津藩士として戊辰戦争を、また西南戦争を戦った。田山花袋は義弟。旧姓生亀、雅号盤石

生涯

経歴

会津藩士の生亀家に生まれる。父は可汲。戊辰戦争では佐川官兵衛麾下として北越戦争を戦い、重傷を受け若松へ後送されている。明治5年(1872年)に警察官となり、少警部に昇進。また明治10年(1877年)には陸軍歩兵中尉に任官した。西南戦争に出征し、再び負傷している。警察官としては五等警視 に昇り、淀橋警察署、富岡門前警察署、本郷警察署でそれぞれ署長を務めた。明治19年(1886年)から明治25年(1892年)まで東白川郡郡長を務めて退官した。会津会会員、編纂書に『風月無尽』がある。

田山花袋

石井の妻は旧館林藩士田山氏の長女いつ。いつの父は警察官として西南戦争で戦死している。この田山家の次男がのちの田山花袋であった。石井は東白川郡長時代に花袋を招き、見合いの仲介をしているが、この縁談は実現していない。石井の父である可汲 は、『東白川郡沿革私考』を著し、花袋が序文を寄せている。花袋は棚倉を舞台に『小桃源』(画像417枚目から)などの作品を著した。花袋の作品に登場する姪の愛子は石井の娘である。

脚注

注釈
出典

参考文献

  • 会津会『会津会雑誌第27号』、1925年
  • 福島県棚倉町「特集 棚倉歴史探訪」(『広報たなぐら1月号』(平成21年))

外部リンク

  • 高崎経済大学地域政策研究第9巻第2・3合併号 千葉貢「田山花袋『田舎教師』のなかの「循環考」」

【仕事終了・金銭奴隷】石井数俊&はっしー*切り抜きまとめ* YouTube

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