尾台 榕堂(おだい ようどう、寛政11年(1799年)-明治3年11月29日(1871年1月19日))は、江戸時代後期の漢方医。幼名四郎治、名は元逸、字は士超、榕堂、敲雲、通称は良作。

経歴・人物

越後中条下町(現:新潟県十日町市 )の医家小杉家に生まれる 。江戸に出てはじめ吉益東洞の高弟岑小翁に、のち尾台浅岳の門徒となり漢方を学ぶ。故郷へ帰り開業するが、天保5年(1834年)に浅岳が他界すると江戸に戻り、尾台家の養子となった。吉益東洞の類衆方を研究し『類衆方広義』を著した。著書は他に『療難指示』、『方伎雑誌』、『閑窓筆録』、『医事啓源』など。
墓所は台東区谷中の観音寺。

脚注


类聚方广义 尾台榕堂 1977_尾台榕堂_孔夫子旧书网

八重大礼!广阔蓝海!丰榕堂师承大会暨百亿流量赋能计划——诚邀莅临! 知乎

类聚方广义 搜狗百科

【图】青州医谈 蘭轩医谈 橘黄医谈 日文原版 24开线装手抄油印版 1935年印刷(合订本),拍品信息,网上拍卖,拍卖图片,拍卖网,拍卖网站

塘尾道 平安福音堂