ラモン・ディオヘネス・オルティズ(Ramon Diogenes Ortiz , 1973年5月23日 - )は、ドミニカ共和国出身の元プロ野球選手(投手)。
経歴
エンゼルス時代
1995年にカリフォルニア・エンゼルスと契約を結んだ。
1999年にメジャーデビューした。
2002年には15勝9敗、防御率3.77と活躍。この年のワールドシリーズに出場し、世界一を経験している。
2003年には、キャリアハイの16勝をあげた。
レッズ時代
2004年12月14日にダスティン・モズリーとのトレードでシンシナティ・レッズへ移籍した。
2005年オフにFAとなった。
ナショナルズ時代
2006年に、ワシントン・ナショナルズと契約を結んだ。9月4日のセントルイス・カージナルス戦では8回終了時点までノーヒットノーランを記録。だが9回の先頭打者アーロン・マイルズに安打を打たれ、ノーヒットノーラン達成はならなかった。オルティズはこの試合で相手投手のホルヘ・ソーサから本塁打を放っており、1962年のアール・ウィルソン、1971年のリック・ワイズに続く史上3人目のノーヒットノーランと本塁打の同一試合達成者になる可能性があった。
ツインズ時代
2007年1月19日にミネソタ・ツインズと1年310万ドルでヨハン・サンタナ、ブーフ・ボンサーに続く先発3番手として契約も結果を残すことが出来ず5月下旬にはブルペン要員に回され。8月15日にはトレードでコロラド・ロッキーズへ移籍し10試合に登板。
オリックス時代
2008年4月1日にオリックス・バファローズと契約。ジェレミー・パウエルの二重契約問題があったため、即日支配下選手として公示された。
初登板となった5月2日の福岡ソフトバンクホークス戦で、5回途中6失点と打ち込まれ、5月17日の千葉ロッテマリーンズ戦では、2回までの6点援護をもらいながら、その裏に7失点KO。このように、初登板からしばらくは調子が上がらなかったが、5月29日の中日ドラゴンズ戦で5回1失点の好投で漸く来日初勝利をあげると、そこから3連勝。以後も先発ローテーション入りを果たした。6月12日の横浜ベイスターズ戦で先発を務めたが、試合前に神戸から大阪へ向かう際に電車を乗り違えるというハプニングを起こした。その後、駅員にレクチャーを受けながらも、1時間30分遅れて何とか京セラドーム大阪に到着した。なお、試合は6回途中1失点の好投で、3勝目をあげている。5回を持たずに降板することが多く、途中二軍降格も味わった。最終的には4勝7敗、防御率5.82に終わり、シーズン終了後に退団。また、チームがクライマックスシリーズ第1ステージでの敗退が決まるやいなや、10月13日に球団に無断で帰国していた。
オリックス退団後
2009年2月10日、サンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだが、この年はメジャー昇格はなかった。
2010年は当初韓国プロ野球・斗山ベアーズからのオファーがあったが、メジャーリーグで10年目のシーズンを迎えられれば生涯年金を手にすることができるため拒否した。そのためロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングで結果を残し、3年ぶりに開幕メジャー入りを果たした。
2011年4月10日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結び、7月5日にメジャーに昇格。
2012年2月15日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだが3月26日に解雇され、4月4日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ。11月3日にFAとなった。
ブルージェイズ時代
2012年12月28日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ。
2013年4月15日にAAA級バッファロー・バイソンズに合流した。4月23日にアーロン・ラフィーの枠を空けるためにDFAとなった。その後ウェーバーにかけられたが、25日に再びバッファローへ合流した。5月9日にメジャーに昇格し、5月15日サンフランシスコ・ジャイアンツ戦に先発し、7回6安打1失点と好投し、2年ぶりの勝利を手にした。また先発で7イニング以上投げたのは2007年以来となった。しかし、5月28日にシーズン二度目のDFAを受ける。今回もウェーバーの後、5月31日にバッファローへ合流した。しかし、1日後の6月1日にブランドン・モローがDL入りしたため、メジャーへ昇格。翌2日のサンディエゴ・パドレス戦に先発するも、右肘を痛め3回途中で緊急降板。その後、15日間のDL入りとなった。選手生命の危機かと心配されたが、MRIの結果、靭帯の損傷はなかった。検査後、60日間のDLに変更となり、そのままシーズンを終了した。10月31日にFAとなった。
メキシカンリーグ時代
2014年はメキシカンリーグのティファナ・ブルズでプレー。
2015年6月4日にキンタナロー・タイガースと契約。12月18日に自由契約となる。オフはドミニカ共和国のウィンターリーグでプレー。
プレースタイル・人物
- 最速99mph(約159km/h)を記録したこともある平均球速91mph(約146km/h)の速球とスライダー、チェンジアップを投げる。
- 母国のドミニカ共和国では理髪店を経営しており、オリックス時代はバッテリーコーチの別府修作や記者達に対して自慢のハサミさばきを披露した事がある。
- かつてはペドロ・マルティネス2世と呼ばれ、自身もマルティネスを崇拝している。
- 英語が苦手で、スペイン語でコミュニケーションを取れない捕手との相性が良くない。
詳細情報
年度別投手成績
年度別守備成績
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- NPB
- 初登板・初先発:2008年5月2日、対福岡ソフトバンクホークス6回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)、4回1/3を6失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、4回裏に的山哲也から見逃し三振
- 初勝利・初先発勝利:2008年5月29日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、5回1失点
背番号
- 36 (1999年 - 2002年、2004年 - 2005年)
- 45 (2003年)
- 26 (2006年)
- 44 (2007年)
- 50 (2008年)
- 35 (2010年)
- 32 (2011年)
- 34 (2013年)
脚注
関連項目
- オリックス・バファローズの選手一覧
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 個人年度別成績 ラモン・オルティズ - NPB.jp 日本野球機構




